「断ち切れたのは、強くなったからじゃないと思う。ただ、今日一日だけ見ないでいよう、って繰り返しただけで」

そう話してくれた葉子さん(38歳・仮名)は、2年近く片想いの相手に心を縛られていた。相手は既婚者だったわけでも、特別な事情があったわけでもない。ただ、好きになってしまった。それだけで、十分に苦しかった。

相手のSNSを一日に何度もチェックし、既読のつかないLINEを送り続け、共通の知人と会うたびに彼の話を聞こうとした。自分でもおかしいとわかっていた。でも、やめられなかった。

そんな葉子さんが、依存を手放していった経緯を話してもらいました。そこには「意志の力」でも「きっぱり忘れる」でもない、もっと地味で、もっと誠実な方法がありました。

「1日1日」の積み重ねが、物理的な距離を心の距離に変えた


頭では理解していても、心はすぐには追いつかないものです。今回のテーマは、「物理的な距離」がどのようにして「心の距離」へと変わっていったのか。

その背景にあったのは、特別な出来事ではなく「1日1日」を丁寧に積み重ねていく日々でした。

SNSを見ない、LINEを送らない——「今日だけ」から始めた小さなルール

——依存に気づいたのは、いつごろですか?

気づいてはいたんですよ、ずっと。でも認めたくなかった。スマホを開くたびに彼のインスタを確認して、投稿がなければ「今日は何してるんだろう」って考えて、ストーリーをあげたら10秒以内に見て。それが一日に何十回も続いていて。

ある朝、電車の中でまた開いた瞬間に「あ、これは普通じゃないな」って、ようやく認めた感じです。

——やめようと思ったのはそのタイミングですか?

「やめよう」というより、「今日一日だけ見るのをやめてみよう」っていう感じでした。大きく決意するのが怖かったんですよね。「もう絶対に見ない」って言い切ったら、次に見てしまったとき完全に終わりな気がして。

だから最初は「今日だけ」って決めた。それだけです。

葉子さんが最初に設けたルールは、ふたつだけだった。相手のSNSを見ない。そしてLINEを送らない。シンプルに聞こえるが、それがいかに難しいか、同じような経験をした人なら、すぐにわかるはずです。

——LINEを送りたくなったときは、どうしていましたか?

送りたい気持ちはすごくありましたよ。「これを送ったら返ってくるかもしれない」って希望みたいなものがあって。でも、送って既読無視されたときの消耗が、もう限界だったんです。

傷つくのが怖い、というより、傷ついたあとに自分を立て直す体力が、もうなかった。だから「送らない」を選んだのは、強さじゃなくて、もうこれ以上倒れていられないという消去法でした。

「今日だけ」は、翌日もまた「今日だけ」になった。それが1週間になり、2週間になった。見ない日が続くと、見なくてもなんとかなると、少しずつわかってきた。

思い出すきっかけをスルーしない——「自分が楽しかった記憶」へのスイッチ

——SNSやLINE以外で、依存が再燃しそうになる場面はありましたか?

めちゃくちゃありました。音楽が一番きつかった。一緒にいたときに流れていた曲とか、彼が好きって言っていたアーティストの曲が流れると、それだけでぜんぶ思い出して。

映画も、「あのシーン、彼に話したいな」って反射的に思ってしまったりして。日常のいたるところに「彼と結びついた記憶」が埋まっている感じで。

——そのとき、どうやって対処していましたか?

最初は「思い出さないようにしよう」と抵抗していたんですけど、それが余計につらくて。で、あるときから方針を変えて、「彼のことを考えるんじゃなくて、そのとき自分がどう感じたかに集中する」ようにしたんです。

あの映画、自分はどのシーンが好きだったっけ?あの曲、初めて聴いたとき自分はどこにいたっけ?って。記憶の主役を彼から自分に戻す、みたいな作業です

これは単純なようで、実はかなり意識的な努力が要る。恋愛依存の状態にあるとき、記憶の主語はいつの間にか「彼」になっている。葉子さんがやっていたのは、それを少しずつ「私」に引き戻す作業だった。

——そのスイッチ、うまくいきましたか?

「最初は全然できなかったですよ(笑)。考え始めたら止まらなくて。でも、失敗しても「また明日やろう」って思えるようになったのが、変化の始まりだったかな。

うまくできない日があってもいい、って少しだけゆるめたら、逆に続けやすくなりました」

「語らない」「関わらない」——人間関係の中でも距離をつくる


SNSやLINEだけでなく、葉子さんが次にぶつかったのは「人との会話」の壁でした。共通の知人がいる限り、どこかでつながりを求めてしまう。

そこにも、「今日だけ」のルールが必要でした。

「語ること」がつなぎとめていた

——人間関係の面ではどうでしたか?共通の知人がいると、話題になる場合もありますよね。

「これが一番難しかったです。共通の友人と会うと、どこかで彼の話が出てくる。向こうから出てこなくても、私が自然に誘導してしまっていて。「そういえば最近どうしてるか知ってる?」って聞くのが、半分癖みたいになっていました。

情報を集めることで、まだつながっているような気になれたんだと思います。

——それをやめようと思ったのはなぜですか?

ある日、友達に「葉子、まだ彼が好きなの?」って聞かれて。悪意はなかったと思うんですけど、その言葉がすごく刺さって。「まだ」って思われているということは、私はずっとそこに留まっているんだって。

話すたびに、自分の中に彼の存在を上書きしていたんだなって気づきました。

語ることは、記憶を生きたままにする行為でもある。葉子さんはそれ以来、共通の知人と会うときに「彼の話をしない」というルールを自分に課した。

話題が出そうになったら、さりげなく別の方向に流す。それだけで、会話のあとに引きずる感情が、ずいぶん軽くなったといいます。

——友人関係がぎこちなくなることはありませんでしたか?

最初はちょっと怖かったですね。彼の話をしない私って、何を話す人なんだろう、って(笑)。でも話してみると、普通に楽しかった。

むしろ、彼を介さない友達との時間のほうが、ずっと自分でいられた。それが意外な発見でした。

物理的に距離を置くことが、心の距離を作ることにもなる。葉子さんはその実感を、SNSでも、音楽でも、会話の中でも、少しずつ積み重ねていきました。

——今、振り返ってみて、一番効いたのはどのルールだと思いますか?

どれかひとつというより、全部がセットだったと思います。SNSを見なくても、人に話していたら意味がなかったし、話すのをやめても、音楽で思い出してそのまま流されていたら変わらなかった。

「今日だけ」を、いろんな方向から同時にやることが大事だったかな、と。穴をひとつずつふさいでいく感じです。

——最後に、同じような気持ちを抱えている人に、何か伝えられることはありますか?

「強くならなくていい」ってことだと思います。私も全然強くなかったし、今でも彼をふと思う瞬間はある。でも、思うことと、行動することの間に、少しだけ間を置けるようになった。

それだけで十分だったし、それだけで、ちゃんと変われました。大きな決意じゃなくて、今日一日だけ。それを繰り返すだけでいい、って伝えたいです。

おわりに

葉子さんの話を聞いていて、「依存を断つ」という行為が、自分を罰することでも、感情を消し去ることでもないとわかりました。それは、今日一日の小さな選択を、ただ積み重ねていくことでした。

強さがなくても、意志がなくても、できる。

そのことを、葉子さんは身をもって証明していました。

 

文/AKI