「若く見えますね」と言われた瞬間、嬉しさよりも先に、どこか居心地の悪さを感じてしまう。そんな経験はありませんか。

本来は褒め言葉のはずなのに、そこに「無理していると思われていないか」「本当の自分を見透かされていないか」という不安が混ざるのはなぜなのでしょうか。

今回は、「若々しさ」と「若作り」の違いに潜む心理に目を向けながら、年齢との向き合い方や、自分らしい魅力の捉え直し方について、考えていこうと思います。

「若く見える」と言われると、なぜか素直に喜べない


「若く見えますね」と言われたはずなのに、なぜか素直に喜べない——そんなモヤっとした感情を抱いた経験はありませんか。褒め言葉の裏にある評価や、本当に自然に見えているのかという不安が、心をざわつかせる場合もあります。

まずは、「若く見える」という一言に揺れてしまう心理の背景をひも解いていきましょう。

褒め言葉のはずなのに、どこかチクッとする理由

「若く見えるね」と言われて、心の底からうれしいと感じられますか。

おそらく多くのアラフォー女性にとって、この質問はそう単純ではないはずです。うれしい、とは思う。でも同時に、どこかにひっかかるものがある。「若く見える」という言葉の裏に、「でも実際はもう若くない」という事実が透けて見える気がして、素直に受け取れない。

あるいは、こんな経験はないでしょうか。自分では気に入っているワンピースを着て出かけたら、「そういう服、似合うよね、若々しくて」と言われた。うれしいはずなのに、「若々しくて」という言葉がなんとなく引っかかって、家に帰ってから鏡を見てしまった。

似たようなことは、ファッションの場面でもよく起きます。ちょっと明るい色のジャケットを着ていったとき、「そんな服着られてすごいね、私には無理」と言われた経験がある人もいらっしゃるでしょう。言った側に悪気はない。

むしろ褒めているつもりだったりする。でも、その「すごいね」には、「私のような普通の人間にはできない、あなただからできる」というニュアンスがこっそり混じっていて、どこかチクッとする。褒められているのに、なぜか「浮いているよ」と遠回しに言われた気がしてしまう。

「若く見える」も「そんな服着られてすごいね」も、褒め言葉のはずなのに、どうして私たちはこんなに身構えてしまうのでしょう。

それはたぶん、「若く見える」という表現の中に、ふたつの意味が同時に含まれているからです。ひとつは純粋な賛辞。もうひとつは、「あなたの年齢に対して」という条件つきの評価。年齢を基準にした物差しで測られているとわかった瞬間、どうしても身構えてしまう女性は少なくありません。

ネガティブな方であれば、「(恥ずかしくもなく)すごいね」と、相手の発言を悪く受け取ってしまう可能性もあります。

「若く見られたい」と「若作りと思われたくない」の間で

40代になって気づくのは、「若く見られたい」という気持ちと「若作りと思われたくない」という気持ちが、ほぼ同時に自分の中に存在しているということです。

この矛盾、自分でもよくわからないと感じている人は少なくないはずです。

若く見られたいのは本当。でも、頑張って若く見せようとしているところを見透かされたくない。かといって、年相応にどっしりと構える気にもなれない。どっちでもない場所で、なんとなく宙ぶらりんになっている。

「若々しい」と「若作り」は、どこで分かれるのでしょうか。外見の話でもあるけれど、それだけではない気がします。

実はこのふたつを分けているのは、見た目の話というより、「自分のためにやっているか、他者の評価のためにやっているか」という軸に近いのではないか、と私は思っています。

好きだから着ている、楽しいから続けている——そういう理由がある人は、年齢にかかわらず「若々しい」と見える。

一方で、若く見られなければという焦りを原動力にしていると、どこかに無理が出てきて、それが「若作り」という印象になってしまうのかもしれません。

「老ける」が怖いのではなく「消えていく」が怖い


年齢を重ねることそのものよりも、「自分らしさが薄れていくのではないか」という感覚に、不安を覚える人は少なくありません。

外見の変化は、その人の存在感や価値まで揺らがせるように感じられるケースもあります。ここでは、「老けること」へのおそれの奥にある、“消えていくような感覚”の正体に目を向けながら、年齢とどう向き合っていくかを考えていきます。

年齢への不安の正体を、もう少しだけ丁寧に見てみる

「若く見られたい」という気持ちの奥を、もう少し掘り下げてみると、そこにあるのは「老い」への恐怖よりも、もっと具体的な何かだったりします。

見た目が変わることへの不安。それよりも、見た目が変わることで「気にかけてもらえなくなるかもしれない」というおそれ。恋愛においても、仕事においても、社会においても、「若さ」が何かしらのパスポートとして機能してきた経験が、人を敏感にさせます。

特にアラフォーという年齢は、その感覚が鋭くなりやすい時期かもしれません。20代の頃には意識しなくてよかった「賞味期限」みたいなものを、誰かに意識させられた経験が積み重なっていたりする。

怖いのは「老けること」そのものではなく、老けることによって「見えなくなること」「選ばれなくなること」かもしれない。

そこを正直に見ていくと、少し楽になります。漠然とした「老いへの恐怖」ではなく、「こういうことが怖いんだ」と言葉にできると、対処の仕方も変わってくる。

「女性としての旬」という呪い、まだ信じていませんか

女性には「旬」がある、という話を、どこかで刷り込まれてきませんでしたか。

雑誌でも、ドラマでも、日常会話でも、「30代のうちに」「40になる前に」という言葉はやたらと登場します。それを何度も聞くうちに、知らない間に「自分にも残り時間がある」という感覚が染みついていく。

でも少し立ち止まって考えてみてください。その「旬」は、誰が決めたものでしょうか。

「女性の旬は20代」という価値観は、かなり古い世代の産物です。それを今も自分の判断基準にしているとしたら、他人の物差しで自分を測り続けていることになります。

若さに価値を置く視線は外からやってくるものであって、自分の内側からではない。それに気づくと、「若く見られたい」という気持ちの性質が少し変わってきます。外から評価されるための若さではなく、自分が気持ちよくいるための若々しさへ。

「若々しさ」の正体は、たぶん「自分の機嫌をとる力」だ


外見の若さだけでは説明できない、「なんだかこの人、若々しい」と感じる人がいます。その違いは、肌や服装よりも、自分の気持ちをうまく整えられるかどうかにあるのかもしれません。最後に、“若々しさ”をつくる本質を探っていきます。

年齢と関係なく輝いている人には、共通点がある

周りを見渡してみると、年齢にかかわらず「なんかいいな」と感じる人がいます。とびきり美人というわけでもないし、特別に若く見えるわけでもない。でも話していると楽しいし、見ているとどこか元気をもらえる。

そういう人の共通点を考えてみると、だいたい同じところに行き着きます。

好奇心がある。自分が楽しいと思うことをやっている。他人の評価を気にしていないわけではないけれど、それに振り回されていない。そして、自分の機嫌を自分でとる術を持っている。

若々しく見える人は、「若く見せよう」と頑張っている人ではなく、「今の自分を楽しんでいる人」であるケースが多いように思います。

これは精神論ではなく、かなり具体的な話です。自分が好きなことに時間を使っている人は、顔つきが変わります。表情に力が宿るといえばいいのか。外側を整えることとはまた別の、内側からくる輝きのようなもの。それが「若々しさ」と呼ばれているものの正体なのではないか、と感じます。

「若作り」を卒業するための、小さなひとつの問い

では、「若作り」を卒業して「若々しい」側に移るには、何をすればいいのでしょうか。

特別なスキンケアでも、ファッションの刷新でもなく、まず試してほしいのはひとつの問いを持つことです。

「これは、誰のためにやっているか」

その洋服を着るのは、若く見られたいからですか。それとも、着ていると気分が上がるからですか。その趣味を続けているのは、何かを証明したいからですか。それとも、純粋に好きだからですか。

「自分のため」という答えが出てくるものが増えていくと、外側の評価に揺さぶられる感覚が少しずつ薄れていきます。

若く見られたいという気持ちを否定する必要はない。ただ、それが「他者の評価を得るための手段」になっているとき、人は疲れます。自分を磨くことが、評価を求める行為ではなく、自分を喜ばせる行為になったとき、その人はおそらく「若々しい」と言われ始めます。

まとめ

「若く見えるね」という言葉に、素直に「ありがとう」と言えるようになるには、たぶん少し時間がかかります。でも、それは練習できることです。

他者の評価を基準にするのをやめる、というのは大げさな話に聞こえるかもしれません。でも実際には、「今日の自分はどうしたいか」「何を着ると気持ちいいか」「どこに行くと楽しいか」を、自分に少しずつ聞いていくことの積み重ねに過ぎない。

若々しさは、年齢に抗うことで手に入るものではなく、自分と仲良くなることで自然とにじみ出てくるものだと、私は思っています。

「若作り」と「若々しい」のあいだにある境界線は、実のところとても細い。その線を越えるのに必要なのは、スキンケアのランクアップでもなく、最新トレンドの把握でもなく、「自分の機嫌を自分でとる」という、地味で確かな習慣です。

アラフォーの今からでも、遅くない。むしろ今だから、その習慣を身につけるのにいい時期なのかもしれません。

 

文/AKI