4月になると、街が急に「スタート」の空気を帯びます。ピカピカのスーツ、真新しいランドセル、花束を抱えた人たち。SNSには「新しい環境でがんばります」という投稿があふれる。
そのどれとも関係のない場所に立っているとき、自分だけが取り残されているような、奇妙な焦りを感じたことはないでしょうか。
会社員でもなく、学生でもなく、子どもの入学式を迎えるわけでもない。
そんな立場の人にとって、4月とはいったい何なのか。
「新年度」という言葉の重力に、知らず知らずのうちに引っ張られていないでしょうか。
今回はそんな4月の始まりと始め方について、お話したいと思います。
「4月病」——新年度の空気に飲み込まれ、根拠のない焦りに苦しんでいた
「新年度」という言葉には、見えない圧力があります。
自分には直接関係ないとわかっていても、なぜか浮き足立ち、なぜか落ち込む。
その感覚に名前をつけるとしたら、「4月病」とでも呼びたくなります。
毎年4月、「自分だけ止まっている」気がして怖かった
組織に属していない人ほど、この感覚は強くなりがちです。会社員であれば自分も新年度の当事者として、辞令や異動や新しい顔ぶれの中に放り込まれる。
でもフリーランスや専業主婦、あるいは転職活動中の人にとっては、4月が来ても自分の日常は何も変わらない。
変わらないのに、街だけが変わっていく。
その落差が、「自分だけ止まっているような、取り残されているような感覚」を生み出します。
焦りを何かで埋めようと、急に手帳を新しくしたり、ジムに入会しようとしたり。
「4月から始める」と決めた習慣が5月にはほぼ消えて、毎年5月に自己嫌悪がやってくる——
そんなサイクルに心当たりはありませんか。
始めたかったというより、焦りそのものを何かで埋めようとしていただけだったと気づくのは、たいてい後になってからです。
「去年の4月と何も変わっていない自分」が怖かった
この焦りの根っこにあるのは、「更新されていない自分」への恐怖ではないかと思います。
新年度とは、周りが一斉に「新しい自分」になろうとする季節です。
そのテンポに乗れていない自分が、なんだか失格みたいに思えてくる。
恋愛でも仕事でも、「去年の4月と何も変わっていない」ということが、まるで証明されてしまう季節のように感じてしまう。
さらに春は「出会いのシーズン」とも言われます。
それも地味なプレッシャーになりますよね。
「またこの春も何も変わらなかった」と4月末に思う——別にカレンダーが恋愛のタイミングを決めるわけではないのに、気づけばその空気に振り回されていた、という経験がある方も多いのではないでしょうか。
「4月に乗らなくていい」と気づいた日——それは怠惰じゃなく、自分軸を持つことだった
では、どうすればその焦りから抜け出せるのでしょうか。
答えは意外にシンプルで、「乗らなくていい」と気づくことだけです。
ただそれが、思った以上に難しい。
「新年度」から降りたら、本当にやりたいことが見えてきた
毎年4月に手帳を買い替える習慣がある方は、一度立ち止まって考えてみてください。
本当に手帳が必要だから買うのか、それとも「何かを始めた気分になりたい」から買うのか。
この問いに正直に向き合えたとき、「4月に操られていた」ことに気づけます。
4月だからといって何かを始める必要はありません。
やりたいことがあれば7月でも11月でも始められる。
当たり前のことですが、それを自分に許可できていない人は少なくありません。
その許可を一度自分に出してみると、不思議と本当にやりたいことと、焦りで始めようとしていたことの区別がつくようになってきます。
本当にやりたいことは、4月を待っていません。
思い立った日にもう動き始めている、というのが、そういうことの特徴です。
4月との新しい付き合い方
何も新しいことを始めない4月を、一度試してみてください。
近所の公園を歩いて、コーヒーを買って、桜の下のベンチに座るだけの午後。
それだけで、意外なほどの満足感があります。
4月とは本来そういう季節なのかもしれません。
スタートとか更新とか関係なく、ただきれいなものを見ている時間。
SNSで「新しいチャレンジ始めます!」という投稿を見て、ざわっとする気持ちは、すぐにはなくならないかもしれません。
でもそのざわつきを、衝動的な行動に変換しないだけで、ずいぶん違います。
「自分のペースは自分が決める」という感覚は、そうやって少しずつ育っていくものです。
カレンダーじゃなく、自分のリズムで生きるということ
「4月から降りる」というのは、無気力になることでも、変化を拒むことでもありません。世間のリズムではなく、自分のリズムで区切りを持つということです。
それは思った以上に、日常を軽くしてくれます。
「区切り」はカレンダーではなく、自分の中に作ればいい
誕生日を自分の「新年度」にしている人がいます。
その月に一年を振り返り、その月に新しいことを考える。
そうすると、4月に焦って始めたことが自分の外側からの衝動だったのに対し、誕生日に考えることは自分の内側から出てきた言葉で埋まっている感覚になる、と言います。
誕生日でなくてもかまいません。
好きな季節でも、印象に残っている出来事の記念日でも。
「世間の4月」ではなく「自分の4月」をどこかに持つこと、それだけで春の訪れ方がずいぶん変わります。
私の新年度は4月じゃない
そんな感覚が持てると、街が浮き足立っていても、落ち着いてそれを眺められるようになります。
4月にしかできないことだけ、4月にやる
「4月から降りる」というのは、4月を無視することではありません。
4月にしかない空気は確かにあって、それはむしろ楽しめばいい。
桜は春にしか咲かないし、街に新しい顔が増えるあの感じも、悪くないものです。
新年度に乗らないことと4月を楽しまないことは別の話。
そこを切り分けられると、春がぐっと好きな季節になります。
恋愛についても同じことが言えます。
春に出会いを焦らなくなると、むしろ出会いの質が変わります。
焦りの中で動いた恋愛と、自分のタイミングで動いた恋愛では、出発点がまったく違います。
春の空気に背中を押されるのではなく、自分が「今だ」と思ったときに動ける状態を、日頃から作っておくこと。
それが、4月に振り回されない人の、静かな強さだと思います。
まとめ
「新年度に乗らない」というのは、季節への反抗でも、変化を拒むことでもありません。それは「カレンダーが決めた区切り」ではなく、「自分が決めた区切り」で生きることへの、静かな宣言です。
4月が来るたびに焦っていた頃の自分に言ってあげたいのは、
「何も始めなくていい」ということ、かもしれません。
始めたいことがあるなら始めればいいし、今じゃないと思うなら待てばいい。
4月だからといって、何かを証明しなくていい。
街にはまだ桜が残っています。
今年の4月は、何を始めようかではなく、ただきれいだなと思いながら歩いてみませんか。
それだけで、十分な4月の始め方だと思います。
文/AKI