恋が終わったあと、強く思ったことがある。

もう、誰かや恋愛に自分の価値を委ねる生き方はやめよう、ということ。

好きな人の言葉ひとつで一喜一憂し、関係の行方に心も身体も振り回されていたことに、ようやく気づいた。

依存していたのは、彼に対してだけじゃない。

「誰かに必要とされている自分」でいようとすることそのものだった。

このままでは、自分の人生を生きているとは言えない。

そう思ったとき、私は初めて「自分を取り戻したい」と本気で願った。

この記事では、彼や恋愛に依存する生き方から一歩離れ、私がどうやって少しずつ自分を取り戻していったのかを綴っていく。

終わった恋が、私を目覚めさせた

大好きだった彼がいた。

別れたあとも、友達以上、恋人未満のような関係が続いていた。

オフィシャルに付き合っていたわけじゃない。

それでも、お互いを大切に想っていたことだけは、確かだったと思う。

そんなある日、彼のSNSで「彼女ができた」ことを知った。

画面を見た瞬間、全身から力が抜けた。

スマホを持つ手が、わずかに震えていた。

食欲はなくなり、仕事にも集中できず、気づけば体調まで崩していた。

「私は一体、何をしているんだろう……」

そう思ったとき、胸がぎゅっと締めつけられた。

心だけじゃなく、身体ももう限界だった。

静かに終わった恋が「変わりたい、変わらなきゃ」と思えたきっかけになった。

自分の人生を取り戻すために

何かを大きく変えようと思ったわけじゃなかった。

ただ、このまま同じ場所で立ち尽くしていたら、本当に自分を見失ってしまう気がした。

失恋が理由だったのか、長い間自分の気持ちを後回しにしてきたせいなのか、正直、原因はひとつじゃなかった。

ただ確かだったのは、「もう一度、自分の人生をちゃんと生きたい」という感覚だった。

誰かに選ばれる人生じゃなく、 誰かの期待に応えるための毎日でもなく、自分の感覚を信じて、自分の足で立つこと。

ひとつひとつは小さな選択だったけれど、それらは確実に私を「私」に戻してくれた。

ここから先は、私が自分の人生を取り戻すためにしてきたことの記録だ。

ひとり旅で、新たな挑戦

日常から脱出するためにひとり旅に出た。

レンタカーを借り、人生で初めてのロードトリップに挑戦した。

運転中は、ただハンドルを握り、前に進むことだけに集中。

フロントガラスの向こうには、普段の生活では決して目にすることのない、果てしない景色が広がっていた。

空は高く、道はまっすぐで、それだけで胸の奥が少しずつほどけていくのを感じた。

車を走らせるほどに、張りつめていた心が音を立てずにゆっくりとゆるんでいく。

立ち寄った町で交わす、地元の人との何気ない会話、観光客としての私に向けられる見返りのない優しさ

その一瞬一瞬が、胸の奥に静かに沁みていった。

山があれば、黙ってハイキングをした。

考え事はせず、ただ前に進み、目の前の景色に感動の涙を流す。

海があれば、迷わず水に触れてこれまでのことを洗い流すイメージを作った。

冷たさに驚きながら、「ちゃんと生きている」ことを身体が教えてくれた。

自然に身を委ねるうちに、身体の奥に溜まっていた不要なものがひとつずつ溶けていくのを感じた。

たかがひとり旅をして帰ってきたからといって現実はすぐに大きく変わるものではない。

しかし、異国の地でロードトリップを通して自分を見つめ直したことは、私に大きな自信をもたらしてくれた。

全方位的美女をめざす

全方位的美女とは、外見も、内面も、日常も、すべてを自分の味方につけた状態のこと。

それは、誰かと比べて勝つためのものじゃない。

自分の中で最高に満たされた状態でいること。

意識したのは特別なことではなく、日常の中の小さな選択だった。

まず、姿勢。背筋を伸ばすだけで、呼吸が深くなり、気持ちまで前を向く。

次に、持ち物。バッグの中身や身につけるものに気を遣うと、不思議と自分の扱い方も丁寧になる。

メイクや身だしなみは誰かのためじゃなく、自分の機嫌をとるための手段。

鏡に映る自分に「今日も悪くない」と思えるだけで、一日の質は確実に変わった。

歩き方、座り方、話し方などの所作が整うと、心まで落ち着いていくから不思議だ。

そしてもうひとつ。

かつて好きだったこと、心がときめいていたものを思い出すこと。

それらをひとつずつ取り戻していくうちに、自信はどこかから与えられるものじゃないと気づいた。

自分を大切に扱った積み重ねの結果なのだ。

読書をする

自分を取り戻すために、私が大切にしている習慣がある。

それが、読書だ。

本を読むことで、私は言葉を取り戻してきた。

感情に名前をつける言葉や、曖昧で掴みきれなかった気持ちにそっと輪郭を与えてくれる表現。

言葉を失っていたとき、私は自分の感情さえうまく扱えなくなっていた

悲しいのか、寂しいのか、悔しいのかさえも分からないまま、ただ胸の奥に溜め込んでいた。

本のページをめくるたび、 「ああ、これが言いたかったんだ」そんな感覚が、静かに心をほどいていった。

もうひとつ、読書から学んだのは間の取り方だった。

すぐに答えを出さなくていいこと。

沈黙にも、立ち止まる時間にも、意味があること。

余白があるからこそ言葉は深く、まっすぐ届く。

人生でも人間関係でも、 言いすぎないことや急ぎすぎないことを読書から学んでいる。

それは、自分をすり減らさずに生きるための、とても静かで確かな知恵だ。

読書は、ただ知識を増やす行為じゃない。

散らばってしまった自分の感情を、静かに丁寧に回収する時間。

本を読み終えたあと、少しだけ呼吸が深くなっていることに気づく。

それだけで、この時間は十分すぎるほど価値がある。

ピラティスで、身体に戻る

自分を取り戻すために選んだこと。それが、ピラティスだった。

呼吸に意識を向け、骨の位置を感じ、「今、ここにある自分の体」と向き合う時間。

動きは静かで、派手じゃない。

だからこそ、ごまかしがきかない

心が疲れているときほど、体は固く、呼吸は浅くなっていることに気付いた。

そして、体がゆるむと心も自然とほどけていく

頭で考えるのをやめて、身体に戻る。

その感覚を思い出せたことは、私にとって大きかった。

自己紹介を通して、自分を知る

自己紹介が苦手だった私が、改めて自分の言葉で自分を語ろうと思った。

これまでは、無難な肩書きや当たり障りのない情報を並べて、 深く踏み込まないまま終わらせてきた。

でもあるとき、「私は、私のことをどれくらい知っているんだろう」 そんな疑問が浮かんだ。

過去を振り返り、 好きだったこと、続けてきたこと、人からよく言われる言葉を、ひとつずつ書き出してみた。

すると、自分では当たり前だと思っていたことが、実は何度も繰り返し選んできたものだったり、自然と身についていた強みだったりすることに気づいた。

私らしさは、 特別な実績や派手な肩書きの中にあるんじゃない。

これまでの選択や積み重ねの中に、ちゃんと息をして存在していた。

自己紹介を考える時間は、 誰かに向けた準備というより自分自身を理解し、認めるための時間だった。

言葉にした瞬間、 自分の輪郭が少しだけはっきりした気がした。

意識を変える

最後に取り組んだのは、意識の改革。

落ち込みそうになったときの考え方のルールを決めた。

・周りからどう思われようと、どうでもいい

・自分が思うほど、誰も気にしていない

これは冷たくなることじゃない。

自分の人生のハンドルを、他人に渡さないということ。

完璧でいようとするのをやめたとき、「まあ、いっか」と笑える余白が生まれた。

まとめ

失ったと思っていたものは、本当は、どこにも行っていなかった。

ただ、疲れて 一時的に自分から目を離していただけだった。

旅に出て、自然に触れ、 言葉を取り戻し、 身体と向き合い、自分をどう扱うかを、少しずつ見直してきた。

その小さな選択の積み重ねが、 確実に私を私に戻してくれた。

誰かに選ばれるためじゃなく、 誰かと比べて勝つためでもない。

自分の人生を、 自分の足で生きるためだ。

私は今、自分の人生を取り戻し、確信を胸に将来へと歩いている。

 

文/Miwa